不安定日記

若年性認知症予備軍の旦那との日常

始まり4

わたしは、とにかく検索をして直ぐに診てもらえそうな個人の病院を見つけた。

優しそうな初老の先生に事情を説明する。

MMSE検査の結果は25/30。涙が止まらないわたしに、先生は「まだ詳しい検査をした訳じゃないですから」と、優しくおっしゃった。

それから、若年性認知症の詳しい検査ができる病院、そして、土地勘がないわたしたちでも電車で通えて駅からも近いM病院に連絡をし、最短で検査ができるように直接予約をしてくださった。

実はこの日は主人の誕生日。翌日から、お気に入りの温泉に2泊する予定になっていた。

車で片道5時間くらいだろうか。徐々に新緑が濃くなり、エメラルドグリーンのダムと青空がキラキラしていた。雪深いその温泉地には、毎年GWから11月迄の半年間、何度も足を運んでいた。

通い慣れたはずなのに、この日はまるで景色が違って見えた。

「もう、こんな風にここに来れるのは最後かも知れない。来年の今頃は、どうなってしまうんだろう。」

温泉に浸かっても、震えが一向に止まらなかった。ワインを飲んでも全く酔えない。

夜中になっても眠れない。

こんなに辛い旅行は初めてだった。


いや、まだ認知症だと決まった訳じゃない。今考えたって仕方ないじゃないか。今は楽しまないといけない。旦那と、楽しまないといけない。

この頃から、わたしの体にも異変が出始めた。

始まり3

ある朝。

呆然とした旦那が

「何をしたらいいのかわからない」と呟いたまま、ソファーから立てなくなった。

今日は会議。

昨日資料を作成していたが、全体資料しか作っていなかったらしい。

自分の部の資料を作成する事を忘れていたのだ。

わたしは、頭が真っ白になった。

「今日は、取り敢えず休もう」と、言った。

旦那は見開いた目を真っ赤にして、

「ダメだよ。今日行かなかったら、一生仕事に行けなくなる。」と。

「わかった。今から○○長に電話をして、事情を説明しよう。」


無言で2人、地下鉄に乗り込む。

つり革を、震えて握ることができなかった。


会議前に、わたしも同席をして会社の応接室で話をする事になった。

そして、最近の状態を説明した。

どうもおかしいと思っていた・・・と、○○長は言った。

わたしは、説明しながら、自分の不安がもしかしたら当たっているかもしれないと感じた。

「物忘れ外来に連れていきます。」

○○長は、驚いてわたしを見た。

「環境が変わった事での鬱状態じゃなくて?少し休んで休養を取れば・・・」

「いえ、物忘れ外来です。」


旦那の異変は、鬱状態とは思えなかった。いろんな情報をかき集める度に、ひとつの病気が浮かんで消えない。


・・・若年性認知症。

始まり2

旦那は転勤族だ。

大体数年に一度は引っ越しだ。

結構めんどくさい手続きを毎回する事になる。4年前の転勤時、諸経費の持ち出しの出費が20万を越えた。

わたしは、ただ旦那が手続きが面倒で、申請しなかったのだと思っていた。

新居に越してからも、手続き等の際は、まあ使えない。

でも・・・どうもおかしい。

例えば、包丁の収納場所がわからないのだ。包丁をしまう場所って、大概キッチンの収納扉の内側にないだろうか。

転勤先のメンバーがなかなか覚えられない。

まあ、人数が数十人いるので・・・そんなものかな?

あれ?と、まぁそうかな?が、何度も何度もわたしの頭のなかでいったり来たりした。

どうもおかしい?がやっぱり何か変だ!に変わる出来事が徐々に起こり出す。

そして1ヶ月が過ぎたある朝、主人は出勤前にリビングのソファーから立てなくなる。

それは会議の日だった。

「何をしたらいいのか、わからない」と。

前日の日曜日、休日出勤して会議資料を作っていたはずなのに。