不安定日記

若年性認知症予備軍の旦那との日常

あれから1年

km736

旦那はそのまま入院となった。

隔離室。

窓も何もないマットレスだけの部屋で過ごすこととなる。

しばらくは面会はできなかったが、荷物を届けることはできた。妹も来てくれた。

ほんの少しだけ、看護師さんの計らいで二重扉を挟んで顔を見せてくれた。

この日から私は、更に罪悪感でいっぱいになって精神的に不安定になってゆく。

数日後、午前午後に1時間だけ隔離室から出られるようになった。

面会に行くと、薬の副作用でどんどん弱っていく旦那を目の当たりにする。1人で歩いて面会室まで来れず、抱えられるようにしてやってくる。

もともと、薬がとても効きやすい体質だ。

たった2週間でこんなになってしまうのかと愕然とした。面会後は車に戻っても涙が止まらなくてなかなかエンジンがかけられなかった。

その後、隔離室から出ることはできたが、大部屋ではなくナースステーションの目の前の個室に入ることになった。

週末の面会は、毎回緊張した。

先週よりももっと悪くなっていたらどうしようと不安になった。

薬の調整が続けられていて、毎週様子が違った。

入院から2か月間余りたった7月、病院から何度も着信があった。仕事で外回り中だった私は、慌てて病院に電話をした。

肺炎を起こし、意識が低下している事。酸素濃度が低下している。同じ病院内の内科に移動させるとの事だった。

翌日、病院に行った。

意識は朦朧としていてマスクをつけ、意思の疎通もできなかった。

この病気は、命に直結するんだと実感した。

どんな状態でもいいから、お願いだから死なないでほしい。

生きてるだけでいいと思った。

近況③

km736

入院先の病院まで車で40分ほど。

お昼ご飯を何処かで食べようと思った。旦那が食べたいものを一緒に食べたい。この次、いつ食べられるかわからない。

なかなか決まらず受診時間が迫ってくる。

時間的に、飲食店の駐車場もいっぱいでなかなか駐車できる店舗がない。

受診30分前になり、仕方なくコンビニで旦那に選んでもらいお弁当を買った。

入院前の最後のご飯がこんなふうになってしまったこと、食べる時間も15分くらいしかなく申し訳ない気持ちでいっぱいになった。でも旦那は、

大丈夫だよ、美味しいよと笑顔で助手席で完食してくれた。

病院に到着後、面談があった。

女性医師の態度は非常に高圧的で、旦那は段々機嫌が悪くなってゆく。まるで犯罪者に対応している検察官のように、詰問する。その上、あー、理解できないか。と声に出して言う。そして、徐々に不穏になってくる旦那に対して、ほら、こんなふうに感情的になっちゃうのがこの病気の症状なんだよねと言う。

私は、爆発しそうになる気持ちを抑えながら、旦那の今の状況を伝えた。どういう経緯で今ここにいるのか、面談前までどんだけ穏やかに過ごしていたか。旦那は、どんな事があると不穏になるのか。

そして、私はどんな気持ちでここで先生の話を聞いているのか。

医師は、はっとした表情をした。

この後から今まで、この医師はとてもこちらに寄り添った対応を、して下さっている。

近況②

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ショートステイ先から、このまま病院に来てくださいと言われ病院に到着した。すぐ、私だけ呼ばれ、入院できる提携病院に話を通してあることと、2時間後に受診予約を取ってあることを伝えられた。

要は、このまま、旦那は医療処置入院になるということだ。

どれだけ我慢しても、罪悪感と悲しさで涙が溢れて止められない。

なんでこんな事になったんだろう。

ほんの数日前は、GW連休の温泉旅行をどうしようかと思ってたはずなのに。

すでに落ち着いている旦那は、不思議そうに泣いてる私を見て心配して言葉をかけてくれる。どうしたの?どこか痛いの?何があったの?と。

旦那が私の顔を覗き込んで質問する度に、涙が溢れてきて、話が出来なくなる。

私は、旦那に、お薬の調整をしてもらって、温泉に行こうねと言うことが精一杯だった。

もう、GWの旅行は行けるはずもないのに。

私は嘘をついた。