不安定日記

若年性認知症予備軍の旦那との日常

始まり5

わたしの妹は、介護施設をいくつか運営している会社に勤めている。ケアマネージャーだった当時、新施設の施設長になったばかりだった。わたしが旦那の事を話すと、仕事の段取りをつけ、隣の県から飛んできてくれた。

M病院の検査を受ける迄の間、何度となく電話で話を聞いてくれて、時には泊まりに来てくれた。

その頃のわたしは、眠れなくなり食べられなくなり、常に若年性認知症の検索ばかりしていた。旦那の顔を見ては泣き、「俺は大丈夫だから。もう検索するのはやめよう」と諭された。

妹は、とにかくわたしに病院へ行くように勧めた。誰が見ても、立派な鬱状態だったらしい。結局、行かず終いだったが。


事情を知らなかったわたしの周りの一部には、旦那が仕事ができない、ちょっとおかしい等ヒソヒソと言われるようになっていた。


M病院での検査の日、妹も同席をしてくれた。

結果、MMSE27/ 30、HDS-R23/30、MRI脳萎縮認められず。環境の変化や激務によるストレス性の鬱症状か、または若年性認知症の初期症状か。わたしは迷わす脳血流検査SPECTをお願いした。

数日後、検査を受けた。

アルツハイマー型特有の場所に、血流低下が見られた。

先生は、「この状態では、今後本当に認知症を発症するかどうかさえもわからない。今すぐに薬を飲んだって、効果は期待できない。」

診断名は、健忘型軽度認知障害の可能性。

認知症を発症しているわけではないので、診断書はなく、状況報告書として検査結果の詳細を頂いた。

旦那は、落ち着いていた。

自分の「何かおかしい。」原因が解ったことで、どこかほっとしているようにも見えた。

わたしにとって、認知症は絶対になりたくない病気だ。治らないんだから。

もし自分が認知症と、診断されたら自暴自棄になって何をしでかすかわからないと思う。

旦那は、「うーん、大丈夫っていうか…。

こんな病気になってしまって、申し訳ないとは思ってる。でも、別に痛いところがある訳じゃないし、手術する訳でもないし」と。

その後、自分の職場の責任者たちに認知症検査を受けた事を話した。役職を降りたいと申し出たが、期の途中で病気での降格は認められていないそうだ。ただ、仕事の内容を軽減してもらった。それまで、寝ている時に寝ぼけたり飛び起きたりという症状があったが、この日を境に無くなった。

わたしは関西圏にMCI治療ができる病院を見つけた。何としてでも発症を食い止めたい。M病院に紹介状を書いて頂いた。

しかし、調べれば調べるほど40代のMCIへの治療とはかけ離れていると感じた。何よりも、必ず薬を服用する事という治療法に抵抗があった。

そしてまた検索に没頭する。ブログや認知症の記事、果ては海外の論文まで手を出し始めた。

眠れないので、ちょうど良かった。

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